「ミキちゃん、ブレンドコーヒーのお代わりちょうだい」
テーブル席に座り黙々とノートパソコンのキーボードを叩く男性が、アルバイト店員の|七瀬ミキ《ななせみき》に声をかけた。
「はい、かしこまりました!」
ここは、「さみしがり屋川崎支店」と言う一風変わった店名のカフェバー。さみしがり屋達が集う店。今日も一人のさみしがり屋が来店していた。
「はい、コーヒーのお代わり。|新棚《あらたな》さん、お代わり無料のブレンドコーヒーだけじゃなくて他にも何か注文してよ!」
「これこれ、ミキちゃん。お客様に注文を強要してはいけないよ」
カウンター内にいた店長の会田はミキに注意した。
「だって店長、新棚さんってばブレンドコーヒーしか飲まないんだもん。何か食べないと体壊しちゃうよ」
「ミキちゃん、俺の体の事心配してくれてありがとう。それじゃ俺、カツ丼が食べたいな」
「はぁ? 新棚さん、ここカフェバーだよ! カツ丼なんてあるわけ無いじゃん! ねぇ、店長?」
「ありますよ。裏メニューですけど。新棚さん、少々お待ちくださいね」
「はーい。ミキちゃん、カツ丼あるってさ。言ってみるもんだね」
「そんな事より新棚さん、小説の執筆は進んでるの? 自宅の方が集中して書けるんじゃない?」
ミキは、新棚の座るテーブル席の対面の席に腰掛けて新棚に聞いた。
「いや~、自宅にこもって書いていると一人でさみしくってね。ここで書いている方が執筆がはかどるんだよ」
「新棚さん、|新棚時代《あらたなじだい》って名前、ペンネームでしょ? 本名教えてよ」
「本名は小説家としてデビューするまで秘密。ミキちゃんが俺と付き合ってくれるなら教えてあげてもいいよ」
「な、何言ってんのよ! 新棚さんと私が付き合うわけ無いでしょ!」
ミキは新棚の言葉に対して顔を真っ赤にして否定した。
「そっか、そりゃ残念だな……」
「そ、そんなに落ち込まないでよ。私、新棚さんの事、いや、新棚さんの書く小説好きだよ」
「ミキちゃん、それ本当? 俺の書いた作品でどれが一番好きかな?」
「この前読ませてくれた『メタボ戦士 メタボリッカー』かな」
「ああ、あれか。あれ、新人賞に応募して落選したんだ……」
「えっ? でも、私的には面白かったよ!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「はい、新棚さんお待たせしました。当店の裏メニューのカツ丼です」
会田が新棚の座るテーブル席までカツ丼を運んできた。
「さて、私も仕事に戻るか……」
「ミキちゃん、今は特に仕事無いから新棚さんのお相手してあげて」
「えっ? は、はい」
「それじゃ、いただきまーす」
新棚は大きな声で「いただきます」の挨拶をしてからカツ丼を食べ始めた。
「新棚さん、食べてるところごめんね。新棚さんが小説を書き始めたきっかけは何だったの?」
「ん? 気がついたら小説を書く真似事を始めてた。『今日の夕食はカレーにしよう』みたいな軽いノリで始めた」
「子供の頃から小説家になりたいって思ってたの?」
「いや、小学生の頃は特に将来の夢なんてものは無かった。小学生の頃は本を読むのが大嫌いだったよ。そんな奴が小説家目指してるんだぜ。面白い話だろう?」
「面白いというか不思議だね。新棚さんはなぜ小説を書き続けるの?」
「まぁ、自分のためっていうのが一番の理由だけど、応援してくれる人達の期待に応えるためかな」
「期待に応えるため?」
「うん。俺が会社を辞めた時、職場の上司や先輩、同僚達が送別会を開いてくれたんだ。俺、その送別会の席で『将来、小説家になります!』って宣言したんだ。俺の宣言に対して送別会に参加した人達はどんな反応をしたと思う?」
「うーん、わかんない」
「誰も笑わなかった。笑われると思ったけど誰も笑わなかった。逆に上司や先輩からは『直木賞を獲れ!』とか『芥川賞を獲れ!』なんて叱咤激励されちゃってさ、まだ小説家としてデビューもしてないのに、高いハードルを設定されちゃったもんだよ……」
「そうなんだ。新棚さんはいつまで小説を書き続けるの?」
「小説家として認められるまで。とりあえず十年は書き続けようと思ってる。何事も十年続けていれば何らかの結果が得られるさ」
「プロの小説家になれるといいね」
「うん。最近嬉しい事があってね、小説投稿サイトに投稿している俺の作品に対して感想を書いてくれたり、評価をしてくれる読者が増えたんだ。中でも『レインボーさん』って人は、俺が投稿した全ての作品に感想と評価をしてくれていてね、その感想がとても参考になるんだよ」
「……、そうなんだ」
「今日も一作、短編小説を投稿しようと思ってるんだ。レインボーさんからの感想と評価が楽しみだよ」
「ふーん、頑張れ! アマチュア小説家!」
「おう!」
ミキは新棚に励ましの言葉を言うと、席を立ち会田のいるカウンター内に戻っていった。
「もう、せっかく二人だけの時間を作ってあげたのに、ミキちゃんったら素直じゃないんだから~」
「て、店長、何言ってるんですか! 私、新棚さんの事じゃなくて新棚さんの書く小説が好きなんです!」
「そうかな? 新棚さんと話しているミキちゃん、とても楽しそうだったよ」
「もう、やめてくださいよ~、店長~」
カランコロン。
「店長、お客様ですよ! 仕事しなきゃ! いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
その後、ミキは接客をこなし、時折、新棚のもとへブレンドコーヒーのお代わりを注ぎに行き、新棚はブレンドコーヒーを飲みながら黙々と小説を書き続けた。
カランコロン。
「おはようございます。店長、遅れてすいません」
午後六時、アルバイト店員の西田が出勤してきた。
「おはよう、西田君。また遅刻? 十分前には出勤してもらわないと困るよ。ミキちゃんは上がりの時間だね。お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした」
ミキは挨拶をすると更衣室に制服から私服に着替えに行った。
新棚は書き終えた短編小説を小説投稿サイトに投稿し、カップに残っていたブレンドコーヒーを飲み干して帰り支度を始めた。
「ごちそうさまでした。店長、カツ丼美味しかったです。また注文させてもらいますね」
「お口に合ったようで何よりです。小説の執筆、頑張ってくださいね!」
「はい」
「店長、西田君、お先に失礼しまーす」
私服に着替えたミキが店内に現れた。
「ミキちゃん上がりなの? 俺もこれから帰るところ。駅まで一緒に行かない?」
「……、う、うん。いいよ」
「それじゃ、店長、ごちそうさまでした」
「お、お先に失礼します」
「はい。ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
ミキと新棚は店を後にし、二人で駅まで歩いて行った。
「店長、ミキちゃん顔真っ赤でしたけど、何かあったんですか?」
「西田君は鈍感ですね。まぁ、それが君の長所でもありますけどね」
「店長、それ褒め言葉ですか?」
「はい、褒め言葉ですよ。さぁ、これからバータイムです。今日も頑張りましょう!」
「はい!」
自宅に帰ったミキはバッグをソファーの上に置くと、いそいそとノートパソコンの電源を入れ、インターネットブラウザを立ち上げ、小説投稿サイト「小説家になっちゃおう!」にアクセスし、新棚が今日投稿した新作の短編小説を読み始めた。
新棚の短編小説を読み終えると、ミキはハンドルネームを入力して感想を書き、評価を付けた。
ミキのハンドルネームは、苗字の「七瀬」から連想した「レインボー」という名前だ。
「新棚さん、私と付き合ったら本当に本名教えてくれるかな……」
小説家志望の男に思いを寄せるミキの心は、切ない鼓動を繰り返していた。